ブレーキも利かず、迫り来るトラックを見て彼は苦笑した
彼自身、何故ここまで冷静なのか・・・と不思議だった
時間も長く感じられる
使い古された表現を用いるならば、“まるで時が止まったかのよう”だった

彼が最期に、どのような表情を浮かべていたのか・・・
誰にも知る術はない
しかし彼に浮かんでいた表情は恐らく、苦痛
“痛み”という意味ではない何か・・・そしてそれは、途轍もなく辛いことであろう


「          」
彼の放った言葉は、誰にも・・・自分の耳にさえ届くことはなかった



時空流転



ジリリリリリリリリリリリリリ・・・・・
部屋中に響き渡る目覚まし時計の音に、彼 ―和泉田 幸己― は目を覚ました
窓からは朝日が差し込み、部屋を明るく照らしている



今日は1月 4日(土)
本来なら、まだ冬休みの真っ只中である
しかし彼の通う麻鷺(あさぎ)高校には、幸己曰く『何とも忌まわしき土曜補習』がある

数日間は、新年ということで登校自体が禁止されていた
だがそれは昨日までのこと、今日からは部活等の使用も認められる
認められたところで、彼は学校になど行きたくはないのだろうが



ヤバイことに俺は、冬季土曜補習(後期)の初日から遅刻ペースだ
現在時刻は8時42分、補習開始は9時ジャスト
どんなに頑張っても学校までは15分はかかる
今から着替えて朝飯食って・・・では到底間に合わない!
制服は絶対に着なくてはならないし、エネルギーも補充しておかなくてはならない

「・・・よし、サボるか!」
「バカ言ってないでさっさと着替えなさい!」



そしてドロップキックを背後から決められ、受身もロクに取れず床に転がるのだった




 *  *  *  *  *




一先ず着替え、階下へと下りる
テーブルの上には朝飯が並べられていたが、全部を食っていける時間はない
とりあえずパンを2枚、適当にジャム等を塗りたくり口へと運ぶ

『先日行われた大学選抜駅伝の―』

居間に置かれたテレビではニュースをやっている
あぁそうか、そういや一昨日辺りに駅伝やってたっけ?
確か優勝したのは淦布(あこう)大学だったと思う
アンカー(?)の市谷って人が早かったんだよなぁ・・・

『次のニュースです
 3ヶ月前、同時期に行方不明となった男女に事件の関連性は薄いと見られ―』


っと、そろそろ家を出ないとマジで遅刻してしまいそうだ
「・・・やっぱこのままサボろうかなぁ」
「いいから早く行って来い!」



半ば突き飛ばされるように家を出る、朝起きてから今まで・・・ざっと10分弱
我ながら恐ろしい

家の時計が正しければ、今は8時50分を少し回ったぐらい
この時間帯は割と車で混んでいたり・・・ってなこともなさそうだし
上手く信号に引っ掛からずに進めれば、まぁ15分もかからないかもしれない
そもそも、この道に信号なんて1つか2つ程度しかないしな


因みに俺はチャリではない
チャリ通も許可されてはいるが、学校側への申請が必要だ・・・どの高校でも同じだと思うが
元々我が家は学校から近い方、よってチャリ通の許可などいらん!
という訳で、申請をしていない
でも、こういう時に困るんだなぁ・・・マジで




補習には完全に遅刻
それでもサボりの多い授業に出た・・・というトコロは評価して頂きたい

ついでに説明しておくと・・・今日の時間割は、9時〜10時40分が物理
20分間の休憩を挟み、11時〜12時40分が数学
40分間の休憩後、1時20分〜3時まで化学
という風に、完全な理系パターンである・・・面倒であることこの上ない



 *  *  *  *  *



「あ・・・昼飯代持ってくるの忘れた」



 *  *  *  *  *



「和泉田はさぁ、大学とかもう決めてる?」

今は昼休み、同じく補習を受けに来ているヤツと2人で昼飯を食っているところだ

「そうだなぁ、俺は淦布大かな・・・
 スポーツ推薦で受けたら、まぁ狙えないこともないって言われたし」

「お前は陸部だっけ?
 いいよなぁ、俺なんか京巌(けいがん)大学に一般入試だぜ・・・
 今のままじゃ多分受かんねぇし」


俺と話してるのは柾樹、成績で言うなら中の上辺り・・・本質的にはバカだけどな
「何言ってんだよ、お前の成績なら受かるだろ
 実力だって、定期試験が出来てんだから問題ないと思うが?」

「無茶言うなよ、俺は2年になってから数学とかの期末試験は受けたことないぜ」


いきなり何を言い出すんだコイツは・・・

「はぁ!?
 期末試験を受けないで、数学の成績が常に“3”とか“4”は有り得ないだろ?」

「見込み点だよ」
意味ありげに笑うと、説明し始めた


・・・柾樹の話を要約すると
まず、中間試験は真面目に勉強しておく
柾樹は要領がいいので、単なる公式等はすぐに覚えることが出来る・・・そしてすぐ忘れる
なので、公式が重要な数学や物理等は比較的点を取れる

しかしこれは中間試験の話だ
数学なんかの期末試験には、学期の前半でやった公式も普通に出てくる
それらの公式を一度忘れてしまう柾樹は、期末前にもう一度覚え直さなければならない
それが面倒だというのだ

だから中間試験で80点、90点といった高得点を取っておき、期末試験のときは学校を休む
2年を担当している数学教諭は、病欠などで試験を受けられなくても
中間試験の8割程度を『見込み点』として期末試験の点数としてくれるので
期末試験の点数は『それなりに』貰える事になる
(中間試験が受けられなかったら、期末試験の8割が『見込み点』とされるらしい)

という話を、得意顔で説明された



「で、3学期はどうするつもりなんだ?」
「どうするって・・・何が?」

ここで俺は、柾樹に一つの現実を突きつけてやることにする


3学期に中間試験はないぞ


その後の柾樹は放心状態だった




 *  *  *  *  *




時刻は3時過ぎ、今日の補習はとりあえず終了した

外に出ると、雪が積もっている
今年の冬が特に寒かったりするわけではないが、去年と比べると気温は低い
というかここ数年、雪を見たことがない

積もっている・・・とは言っても、歩道や道路などはアイスバーン状態だが


「よかった、止んでる」
今日は傘持ってくるの忘れてたんだよなぁ・・・と柾樹が笑う
雪は午前中から降りだしていたが、今はもう止んでしまっていた
それが少し残念だ



途中で柾樹とも分かれる、家の方向が違うのだ
分かれた後の俺は、早足で歩き出す
昼飯を食い損ねてしまったから腹が減った・・・家に帰ったら何か食おう、と思いながら


最初の信号に差し掛かった頃、向こう側から道路に飛び出す子どもの姿が目に入った
小学校の低学年といったところだろう
何気なくそれを目で追いながら道路の先を見る
そこに現れたのは一台のトラック、運転手の方からは子どもの姿が見えていないようだった

「・・・・・っ!」
運転手が子どもに気付き、慌ててブレーキを踏むよりも一瞬早く・・・俺は道路へ飛び出していた

道路はアイスバーン状態・・・こういう時に急ブレーキをかけたら、車はスリップする
案の定トラックは盛大にスリップ、子ども目掛けて一直線だ
トラックは警告音を響かせる
しかし突然の出来事に、子どもの方は何が起こっているのか理解出来ていない

更にトラックの位置は反対車線
俺なら、トラックが子どもにぶつかる前に・・・ギリギリでも反対車線に辿り着ける
だが今日の地面の状態は最悪だ、足が滑って上手く走れない



一瞬の出来事とも言える短い時間すら長く感じられ、ようやく子どもの居る場所へ
それでも、やはり間に合わないと悟る
このままでは子どもを抱え上げて歩道へ、という手順は無理だ
仕方なく、乱暴ではあるがその子どもを歩道の方へ突き飛ばす
怪我ぐらいはするだろうが、このままでは轢かれてしまうんだ・・・それぐらいは許してくれ


子どもの方は何とかなったが、そこで時間切れ
今から逃げるというのはもう無理だ・・・トラックは正に“目と鼻の先”だった



思っていたより呆気ない
痛みよりも先に、強い衝撃を感じた
この“途轍もなく長い一瞬”という矛盾した精神状態の中で、俺は苦笑する
『死』という恐怖より、本当に『呆気ない』と意味もなく思った



「これで何度目だ・・・・?」

自分の口から声が出るのが分かったが、その音を耳が拾うより先に頭から地面に落ちていた
俺は全身に激痛が奔ったことを、急速に薄れいく意識の中で感じた




 *  *  *  *  *




ジリリリリリリリリリリリリリ・・・・・
部屋中に響き渡る目覚まし時計の音に、俺は夢から現実へ引き戻されることとなった

時計を見ると、8時41分を示している
最悪だ、ちゃんと目覚ましは7時半頃にセットしていたハズなのに


「あ・・・1時間ズレてる」

その時、無情にも目の前で起床から1分経過したことを知らせてくる





「・・・よし、サボるか!」
「バカ言ってないでさっさと着替えなさい!」



 *  *  *  *  *



彼の“1月 4日”は終わらない
この流転し廻り続ける世界の中で、訪れること無き“未来”を望もう―




'06-08-16