ある日目が醒め、周りが『遅い』ことに気が付く
まるでスロー再生を見ているかのように・・・

それは非日常ではあるけれど、奇妙で不思議な日常の始まりだった



スロー再生



俊は市谷家の長男である
学生時代も、取り立てて得意な科目があるわけでもなく、ただ淡々とした日々を過ごしていた
得意な分野を強いて上げるなら、体育・・・特に陸上競技
学内でも抜きん出て足の速かった俊は高校駅伝、大学選抜駅伝などの大会で活躍した
そんな彼が周りに対して妙な“ズレ”を感じるようになったのは、中学を卒業して間も無くの頃の事



 *  *  *  *  *



俊は注意深く辺りを見回す
この動作も今ので何度目の事か分からない
そうして何度も確認してきたが、朝起きた時から感じていた違和感はどうやら現実の出来事のようだ

呆とした頭で朝食を食べ朝練へ向かう
中学でやっていた――という理由で誘われ、済崩し的に入部したのは陸上部
走ること自体がそれほど得意というわけではなかったが



 *  *  *  *  *



「お前ってあんなに足速かったっけ?」

今は朝練と着替えが終わり教室へと向かう最中だ
そして声を掛けてきたのは櫻木、中学以来の腐れ縁で同じ陸上部のメンバーの一人

「あれだ、高校に進学したら急に足が速くなったとかよく言うじゃん」

妙な“ズレ”を感じるようになってから数日経っているが、俺はまだ誰にもこの事は言っていない
言った所で信じる人なんて居ないだろうし、大抵の場合はこうやって誤魔化している
櫻木はそれにしても速過ぎだろう、と釈然としない顔をしながらも納得してくれたようだ

改めて辺りを確認する
幾度となく繰り返してきた行為ではあるが、やはり今までと何も変わらない
少し前を歩く櫻木も、空を飛ぶ鳥も、その全てがスローモーション
声や音は普段と同じように聴こえる“感覚”があるのだが

当然の事だが、その影響は俺にも現れているらしい
自分の身体は重いし、常よりも動きが鈍ってしまっている
だが、それでも周りよりは動けるようで・・・
要するに俺の足が急に速くなったのもそれが原因なんだろう、ということだ



一日の授業が終わったところで、この状況に馴染んでしまった自分がいることに驚く
多少の違和感が残ってはいるものの、何とも言えない気分の悪さは治まっていた
慣れてしまった以上、余り気にする程のことでも無いように思えてくるから不思議だ



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「市谷、お前今度の総体に出てみないか?」

顧問の先生からその話を持ち込まれたのは、俺が2年になった時のことだった
日程としては11日から14日までの4日間で競技は初日の400m
この頃の俺は走り方が確立され始め、順調にタイムが伸び出していた辺りだと思う

期待してくれたのは嬉しかったし、それに応えようと必死になった
結果は3位
決勝進出にまで手は届かず、その日の夜・・・俺は泣いた



 *  *  *  *  *



「どうした、気分でも悪いのか?」

今日は高校時代の部活メンバーと同窓会みたいなもので集まっている
今の所は俺と櫻木の二人しか居ないが

「いや・・・少し高校の時のことを思い出してた」

あれから数年、まだ周りの“ズレ”は顕在だ
そのおかげで、色々実績とかを残せてる訳だから特に問題があるわけでもない
日常生活に不便なこともないし、何よりもう慣れた



空を見上げてみる
そして、刺す様に照らしつける陽の光を浴びながら俺は呟く

「まぁ・・・こういう生活も、悪くない」

その言葉は、抜けるように青い空へ吸い込まれるようにして消える
今年の夏も暑くなりそうだ




'07-07-09